「韃靼人の踊り」は知ってても「ポロヴィッツ人の踊り」は知られてないよね?
はぴねす老人めざす石清水鳩子です。
若いころ興味がなくても年取ってからふとその面白さに気づくものってあるよねー。120まで生きるとして…鳩子はまだ折り返しにもきてないんだからこれから楽しめる趣味を育てていかないとね!
さて、鳩子の家はみんな割とクラシックが好きで、三つ上の兄は高校3年間毎朝の目覚ましにラヴェルのボレロを使ってたのよ。3年間毎朝7時になると隣の兄の部屋からボレロが流れてきて聞いてたもんだから、鳩子にとってボレロは目覚ましの曲なのよね。まー、クレッシェンドで段々と盛り上がってくのは朝の目覚めにはぴったりだったかも。
と言っても鳩子はモーツアルトやベートーベンなどの完成された宮廷音楽にはあんまり興味がなくて(ほんとのところまったくわからなくて退屈なのよ!!)ロシアやチェコの作曲家の感情をゆさぶる系の大げさなやつが好き!特にチャイコフスキー。なじみやすいしドラスティックな展開にハラハラするのよね。とにかく大げさでわかりやすい。
みなさんはボロディン作曲の「韃靼人の踊り」って知ってる?
ロシアの作曲家ボロディンの「韃靼人の踊り」は鳩子の5本の指に入る好きな曲。むかしからよく聞いていた3時間にも及ぶオペラ「イーゴリ公」の楽曲よ。
「だったんじん」て名前がインパクトあるよねー
いっぺんサイモンラトル指揮、ベルリンフィル演奏で生で聞いてみたいよねー!!
若いときは、この曲がオペラ「イーゴリ公」の第二幕で使われる曲で歌も踊りもあるなんて知らなかったのよ。日本人で嫌う人はいないと思われる親しみやすく美しいメロディーとダイナミックでリズミカルな部分が交互に進み、その対比がまるで静と動。
Половецкие пляски韃靼人の踊りと合唱(日本語訳)
「イーゴリ公」は12世紀 中世ロシア中部(現在のウクライナ)を治めていたイーゴリ公が、襲い来る遊牧民ポロヴィッツ人の討伐に遠征に出かけるお話。
第二幕のこの曲は、敵陣営に捕らえられたイーゴリ公を敵将のコンチャック・ハンが酒宴でもてなしているところ。歌い踊る若者たちは戦利品として略奪された奴隷たち。
美しい娘たちが舞い、歌っているのは遠く離れた故郷を思う望郷の念。変わって男達が盛り上げるのは支配者コンチャック・ハンを称える歌と踊り。あの美しいメロディーが心を打つのは帰りたくても帰れない故郷を思う切ない気持ちを乗せたものだったからなのよ。歌詞の内容や時代背景を知ったら、ますます興味深く聞くことができるわよねーーー。
この「韃靼人の踊り」って、英語表記では「Polovetsian dance 」と表記されるのよ。そう、「ポロヴィッツ人の踊り」
なんで?と思って調べたら、本来トルコ系の遊牧民はポロヴィッツ人だったけど、その後のモンゴル人の支配(いわゆるタタール人のくびき)でトルコ系もモンゴル系もタタール人になって、日本ではタタール=韃靼として表記されたんだって。
この曲が日本に紹介される当時は「ポロヴィッツ人(もしくはホロヴィッツ人)」の説明がむずかしくて、日本になじみのあるタタール人=韃靼人にしたという説も。
今ではこの「ポロヴィッツ人の踊り」っていう表記が一般的になってきてるんだって!
えー??ほんとに??
「ポロヴィッツ人の踊り」いいよねーって言って通じるのかな??
もう「韃靼人の踊り」でよくね?と思った鳩子でした。